「今後の糧としますので」

「どうぞお許し下さい」


この言葉を見かけたのは、とあるミュージシャンのブログ。
出した新譜の一部のケースに歌詞カードが入ってないまま流通してしまった、という問題における謝罪文だった。
その最後にこの言葉で締めくくられていたのです。


人間は必ずどこかでしくじるもの。
問題は、その失敗した時にどうフォローするか。
頭をさげたり土下座をするのもひとつの選択肢だし、逆にそっぽむいて知らんぷりするのも(良くないけれど)これもまたひとつの選択肢。
問題は自分の身から出たこの失敗によって周囲に与えた迷惑を何を差し出すことで取り返すか、という話になる。
最低限それが元通りになるように尽力するのが大前提。
それをしない場合は代わりにそれまでの自身の信用で穴埋めされる事になるんだろうけれど、多くの場合、先々の事を考えたらコレを選ぶのは賢くない事が多い。
信用の代わりに差し出すものというと、代表的なもので言えば通常以上の労力、あるいは金銭的な保障、あるいはプライドなどが挙げられるんじゃないかと。
そのうえで、「今後の糧としますので、どうぞお許し下さい」はどういう意味を持ってくるのか。


この台詞を述べるときに差し出しているのは、労力や金銭(勿論再発送の手間はかかるのだろうけれど)やプライドじゃない。
その分の自分の時間、未来(広い目で見れば労力にあたるのかも)、そしてそれをキチンと成すという信用。
その場で失うものはないけれど、これでもし次に同じミスをしたら『その失敗+裏切り』になる分周囲の信用はがた落ち。
それを思うと、こういう場合なら何かおまけしたり、文章と一緒に土下座写真でも掲載して『笑って許して』みたいな方が後々の負担はない。
そもそも「今後の糧〜」という一節はあってもなくてもその機能自体には差し支え無い。
それでもあえてその負担を背負うことで、同じ間違いをしないよう自らを律していく事を強調してるのかも。


何にせよ、「とりあえず謝ればいいや」と考えてる人には出ない言葉だよなぁと思ったり、また謝るってこういうことだよなぁ、と再認識させられたりしたのでした。


そうそう、例大祭にコピ本持っていく予定です。
現在鋭意製作中。