例の規制について思うことつらつら

どうも、鳩里です。

少し時間があいちゃいましたが、文フリにお越しいただいた方、ありがとうございました。

お陰さまで無事完売し、僕としてもホッと胸をなで下ろした次第です。
僕個人の表紙の出来は……70点位?
以前よりは良かったと思いつつも反省点もあって、中々満足のいくものをつくるのは難しいなぁと痛感してます。
今後の活動に今回の反省を活かしていきたいですね。



さておき、本題。

些か遅まきではありますが、自分が例の規制について思うところを書き連ねてみました。

 国や県における大きな枠組において『可能性を潰す行為』というのは余程のことがない限りしてはいけないものだと思っています。
あれは駄目、これは駄目、というのはいうなれば小さな枠組み(例えば一商店、あるいはサイト)では在ってしかるべきですし、寧ろなんでもアリなお店なんて御免でしょう。
いうなれば、そうやって形成された(場所という観念に限らず)小さな枠組みの中での化学反応が膨らんだ結果が『文化』と呼ばれる物になるものだと僕は考えています。
そして、その多様な小さな枠組みが存在できる幅を保証するのが『表現』という視点における大きな枠組の果たすべき役割だと思うのです。

 特に今回問題なのは、『法に触れるようなものがアウト』とされているけれどどれをどのように法に当てはめていくかはかなり融通がきいてしまうこと。
解釈の仕方しだいではどう見ても白いものが黒と言われたり、どうみても黒いものが白とされてしまうことだってありうる。
結果、安全に出版することを大事に置くと当たり障りの無いつまらない内容のものが氾濫することになるでしょう。
どう頑張っても面白い物ができないとは言わないけれど、ジャンルによってはストーリーを作るためにはほぼ不可欠である『挫折』に制限をかけられてしまうとこれまで以上に面白いストーリーを練る事が難しくなることは眼に見えています。


 僕は大学で生物や環境系のことを学んでいるのですが、多くの物事って人が思っている以上に複雑にリンクしているような気がするんですよね。
だから一つ潰したら必ずそれに連鎖した弊害というのが出てくる。
勿論、丁寧に剪定して整えてやるのと、思いつきでへし折るのとは別の次元の話。
今までそこに向かって動いていた大きなエネルギーを断ち切ったら腐って他のものまで悪くなるか、耐性付けて増えるかのどちらかしかありません。
潰されたエネルギーが大きければ大きいほどその反発は自然と大きくなる。
どういう方向にしっぺ返しが向かうのか、それはわかりませんけれど。

あちらこちらで目にした話では、もはや都議は一般からの陳情書を読んでもいないし、議会でも話し合う気がない姿勢を決め込んでるとの事なので可決は避けられないように思います。
それでも、アメリカの禁酒法の様に数年もすれば東京都の黒歴史になると信じてる。
ならなそうならば、しなくちゃならない。


長くなりましたが、纏めると
・「可能性を潰す行為」は大きな枠組がやるべきことではない
・今の条例が通ると安全牌な内容しか流通できなくなるので流通作品の質が平均して下がる。


以上の理由から僕は都の改正条例には反対です。
自分も創作活動をする端くれですし、図書館司書の資格を取るつもりなのでこの話の行方は今後も目を光らせていたいと思います。
図書館戦争みたいなことになったら自分も図書隊みたいに戦わねばならない日も来るのかもしれない。
そうなることがありませんように。