原発の話

ダラダラとした文章注意。
そして非エイプリルフールネタ。
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今後、原発をどうしたら良いかという話題で世間はすごい盛り上がってる。
放射能は怖い、されど生活レベルを落とすのは嫌だ、原発が建てられる地域のことを考えろ、福島原発は建物が古いから問題があったのであって最新の設備ならば問題がない、エトセトラ。
どれもそれぞれ理があると思うけれど・・・・・


自分は率直に言えば推進派でもなく反対派でもない。
あえて言うならしぶしぶ容認派、といったところ。
今迄の火力発電によって起きる二酸化炭素の排出やら化石燃料の消費やらといった問題が原子力発電においては違う問題になるんだというだけの話。
化石燃料である石油やガス、石炭等の採掘現場、あるいはダム建設等の事故の事を考えると、死傷者が多いのはどの発電方法か、と言われると中々はっきりしたことは言えない。
放射能にやられて体組織が再生せず顔体の皮膚がただれた人の写真も見た。
勿論痛ましい事だと思うし、無くなるならばそれに越したことはない。
けれど、ガス爆発で焼死した人、炭鉱の落盤で圧死した人、そうでなくても病死する人だっている訳で、人の死はどれも悲しい事。
環境における悪影響、土壌の汚染などに関してもそう。
どういったアプローチによって大気や土壌がダメージを受けるかという違いでしか無い。
例えば火力発電で出た二酸化炭素で温暖化がどれだけ進むか、それによって健康被害や経済的な影響などなどを試算するとこれはこれで世界単位で多くの人が迷惑をこうむるよね。
それでも、発電方法がどれにも一長一短であるなかで、現在ある程度実用されている火力・原子力・水力による発電は明らかに『長』のほうが大きい様に思える。
だから必要な原発を新設することには反対しない。
今回の事故に関して非があるのは東電の危機管理能力や安全対策にあるのであって原子力発電ではないんじゃないかと僕は思ってるんだけれど、違うのかな。
そこをごちゃまぜにして原子力発電からの脱却を唱えちゃいけない。
脱原発というのなら、代替エネルギーの話をするか、我慢を強いられるを覚悟しなくちゃいけない。


ここまで書いてはいるけれど、自分は『だから住んでる人には我慢してもらって原子力発電バンバンやりましょう』みたいな事を言うつもりは全くない。
勿論火力発電だってそんなに歓迎してないし。
要するに順番の話。
大規模な発電なんて如何にしてタービンを回すかという話なのだから、必ず今あるやり方を甘受しなければならないという訳じゃない。
一番大事なのは、その時その時一番いいやり方を選択して柔軟に切り替えていけるようにする、ということ。
今現在最善の道は、技術とコストを考えるとやっぱり火力と原子力による発電になると思う。
ただ十年百年先の話となればそれはまた違う話。
必要なエネルギーを減らしていく技術、そしてより小さな負担でエネルギーを作り出す技術の両面を進歩させていくのが人間の歴史からみても一番自然な在り方だと思うのです。
例えば既に機械全般が消費電力を抑えていく(あんまり好きな言葉じゃないけれど)省エネ傾向にあるし、最近ではアトムトランジスタみたいに消費電力が従来の百万分の一まで一足飛びに抑えられるような物も出来ている。
発電の資源としてはこれまでの化石燃料に加えてメタンハイドレートの利用研究が進んでいるし、バイオマスエネルギー(エタノールとか)なんかも有力視されてる。
地熱発電や海洋温度差発電といったやり方だってある。
勿論今後発電効率を上げていけば太陽光や風力に寄る発電も採算がとれるようになるはず。
ただし現時点ではどれも内蔵する機械類の製造・研究・廃棄処理に関して発生するエネルギーに関して釣り合いがまだまだ取れるくらいの効率に至ってないものが多い(詳しくは『エネルギーペイバックタイム』(EPT)でぐぐるべし)

でも、早かれ遅かれ必ずそれを実用化させなくちゃいけない。
だからこそ、その実現に漕ぎ着けなくちゃいけないし、その為のコストを惜しんじゃいけない。
東京大学の消費電力は東京ドームなんて目じゃないけれど、それに対してヤンヤヤンヤ言う人は殆ど居ないんだし(勿論東大は東大なりに節電してるけどね)。
その為にも当面は原子力発電と付き合っていく事は避けられないんじゃないかと思うのです。
一番配慮の仕方が難しいのは近隣の農家だと思うけれどこればっかりは政府と電力会社の説得と補償しかない。


別にエネルギーを作れれば何でもいいんだから、嫌な顔しながらずっとべったり付き合っていかなきゃならない訳じゃない。
もっといい方法が確立するまでの繋ぎだと割りきって、リスクを理解し、最大限そのリスクに対して対策を講じていけば良い。
先の再生可能エネルギーがある程度実用できるようになったら「ハイさよなら」で構わない(というかそれが出来る計画に基づいて運用していくが不可欠)。
同時に電気に依存しない生き方を普及させていくガイドラインなんかも確立していければいいんだろうけれど、それが我慢を伴うようなものなら意味ないし・・・・・

そうは言ってもここは残念ながら地震国なので、それなりの対応はしなくちゃならない。
ここまで大規模なものが想定できるものなのか知らないけれど、やっぱりこれだけリスクの高い施設を作る以上は相応の設備投資が出来てたのかが気になるところ。
自分が未だに原発反対に踏み切れないのは今回の福島原発が『40年も前の古い施設だから』という事が大きい。
M10が来ようが建物を覆う津波が来ようがそれに対応できる仕組みができていれば反対する理由がないし、それは最早実現不可能なことではないと思うのだけれど、どうなのだろう。
実際、近所の女川原発はそんな大した被害はなかったんだし。


長くなったけれど、簡単にまとめる。
・今回の事故の原因は原子力発電自体ではなく東京電力の危機管理能力にある。
・とは言え、原子力発電は半永久的に付き合っていくには危険な代物。
・しかし原子力コスパも高く、火力発電も燃料が有限で環境に悪影響を及ぼす以上はある程度付き合っていかざるをえない。
・よって、一刻も早く原子力・火力を用いた発電から脱却するための研究に注力し、よりリスクの少ない再生可能エネルギーを用いた実用的な発電方法を確立するべき。
・また、そうしてできた新エネルギーにスムーズに移っていけるように柔軟な計画をたてること、そして想定されるリスクに対して十五分の対策が必要不可欠。


こんなトコロかな。
使えるものを使わず我慢するのは不自然で(原子力発電を「使えているか」というところに議論の余地はあるだろうけれど)、不自然なものは必ずどこかで歪が出る。
エネルギーや産業を取り巻く環境における諸問題解決の為には、先にエネルギーにおけるコストやリスクを小さくして、それからそのエネルギーを用いてこれまで蓄積されてきたマイナス面を適切に処理する技術を開発していくほうが効率がいい。
その為にも、物事の動きの根っこであるエネルギーの母数を小さくすることは僕は反対なのですがどうでしょう。
あ、勿論無駄遣いを推奨してるわけではないですよ。
念のため。


ここまで述べてきたことは、自分の身内に被爆者が出たり、放射能によって実害が出た人が居ないからこそ言える話なのかもしれない。
誰かにリスクを背負えという話だし、原発の近くに住んでない自分はこんな事言える立場じゃないのは分かってる。
でも、やっぱりある程度の視野から先々のこと考えるとベターな考え方だと思うのですが。